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礼儀と礼節と

IMG_8955.jpg緊急事態宣言が解除され、久しぶりに本屋にいったところ、この本が目に止まった。これを選んだ自分の心境を分析してみると、
1)礼儀とは何かがわからなくなってきた
2)多くの生徒を抱える立場として、彼らの前にどのような姿を見せるべきなのか
3)人との距離の取り方をどのようにするべきなのか
というのがある。

1)に関していえば、武道の世界だけではなく人生の先輩方の自然で心地よい礼儀に触れるたびに、自分の足りなさを思い知る。一方で、礼儀を気にしすぎてその人との距離を感じてしまうこともあるし、呆れるほどの無礼な人に出会うこともある。と、ここで悩むのは、礼儀と常識、道徳は何が違うのかということである。

2)私の生徒たちは少なからず教育者としての私の影響を受けるだろう。もちろん反面教師としてみてもらいところもあるのだが、多くが素直な学生たちであるために私自身が気をつけなければならない。彼らに最低限の礼儀は示したい教えたいというのがある。

3)今私自身が心掛けている人間関係は、各々が軸を持ち自立することである。これは数年前から先輩の先生が口にされていたことで、稽古を通してその意味と重要性が理解できるようになった。頭の硬い私としては、まずは身体から変えていこうというところである。

さて、本を読んでまず興味を持ったのは、礼節=civility というところである。すなわち、市民として生きていくための方法というところだろうか。確かに日本語の辞書を引いても、礼儀とは「人間生活や社会生活の秩序を守るために、人々が守るべき行動様式」とあり、社会生活のための手段である。正直なところ、これまで私は相手を尊敬するなどの気持ちを持って相手に尽くすものだというイメージがあったのだが、これは間違いだったのだろうか。

いや?何かおかしい。本のタイトルは「結局うまくいくのは、礼儀正しい人である」とあるのに、本文は「礼儀」ではなく「礼節」で話が進んでいる。はて、「礼儀」と「礼節」は何が違うのだろうか。調べてみるとどうやら、「礼儀」はあくまでも行動様式であり、「礼節」は心が伴った行動らしいが、本にはこの違いについての説明はなかった。

本の内容は、礼節ある行動を取るためのルールが書いてある。それは置いておいて、最も合点が入ったのは最終章の「人はなぜ礼節を見失うのか」だった。その原因は、「ルールを破ることがカッコいいとされる風潮」や「政治家、教師、親などの権威の消失」「世の中の変化が早すぎて礼儀を守っている時間がない」とある。

この本の筆者はアメリカ在住のイタリア人で、大学で礼節と歴史を教えている大学教授である。彼自身が母国ヨーロッパとアメリカでの礼節の違いを感じていたように、日本もまたそれとは違っている。特に日本は礼儀正しい国民と思われていることが多いのだが、最近そうも思えなくなってきた理由はここにあるのかもしれない。

とはいえ、なぜ礼節が必要なのかというと、いろいろな人と出会うからである。世の中全員が知り合ならば、そんなに複雑な礼節なんて必要ないのかもしれない。したがって、礼節で悩んでいるということは、自分の世界が広がっていることなのだろう。この方法は、自分の意見を曲げることでも、無礼な人に対して涙を飲むことでもない。そういう場面で、人との関係を滑らかにしてくれる方法が礼節なのである。と頭では理解できたのだが、それを実行できるかどうかは別の問題。私の場合は、頭から形を入れて身体に染み込ませて自分のものにするタイプなので、次は形での訓練か...。まずはたくさんインプットして、頭の柔軟体操から始めるかな。

この本のを手にする前に気になっていたのは「自分を知る本 橙花の数秘占い」という本で、同じ頃友人がFBで紹介していた。彼女の朗らかな性格比べると、私は頭が堅いというか、真面目なんだなとつくづく思ったのでした。



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